暑い日が続いていますがご健勝のことと思います。
「清涼」という言葉が9月の季語にありましたが、朝夕だけでも涼しい風が吹いてもらいたいものです。
さて9月1日は「防災の日」、報道されていますように今から100年前の大正12年(1923年)9月1日に関東大震災が発生し、史上まれにみる大災害となりました。下記105千人の死者の大半は火災によって命を落としました。
(死者・行方不明者)
関東大震災 1923年(大正12年) 105千人
東日本大震災(3.11)
2011年(平成23年) 23千人
阪神・淡路大震災 1995年(平成7年) 6千人
地震は11時58分で火を使う昼時に発生し、この日はまた台風が能登半島沖から北海道方面に抜けていき火災旋風(つむじ風)が猛威を振るいました。
王子製紙の社史にも震災時の記述がありました。
事務所は芝区新幸町(現在の第一ホテルのある付近)で木造2階建て(もと三井鉱山会社の事務所)、日比谷公園近くで起こった火災が広がって夜11時ころに事務所に火がつき、見る間に焼け落ちました。
樺太工業の事務所は大手町にあって火災を免れましたが、富士製紙は京橋区にあって全部焼失してしまいました。
東日本大震災では東京電力福島第一原発は津波で全電源を失い原子炉の冷却ができず、燃料が溶けてメルトダウン(炉心溶融)しました。
一方で東北電力女川原発(宮城県)では、建設に当たって過去の貞観津波(859年)や慶長津波(1611年)の高さを想定し、敷地の高さを14.8Mに計画を変更したために安全を保ちました。「女川原発を津波から救った男 平井弥之助に学ぶ」当会の会員の友人である原子力工学博士の常磐井守泰さんが4年前に月刊誌に寄稿されています。
明暗を分けたのは、東京電力(福島)は想定外とした津波の高さに対して、東北電力(女川)では想定して対策を講じたことでした。
「くれてなお命の限り蝉しぐれ」。全盛期を過ぎた年代になっても、ゴルフでエイジシュートを出される先輩もおられます。暑さに負けずお元気であれ。
そして、災害は忘れたころにやってきます。ご注意あれ。