朝夕は急に寒く感じるようになりました。20数年前、北海道の苫小牧に勤務したときに、この季節、真っ赤になったナナカマドの実や葉が印象に残っています。ご健勝にお過ごしのことと思います。
NHK総合テレビ、11月5日(土)19時30分からの番組「ブラタモリ」で苫小牧が取り上げられます。
王子製紙が苫小牧に工場をつくることになったことについて、この機会に社史に照らしてご紹介してみたいと思います。
明治35年に当時三井銀行神戸支店の鈴木梅四郎が藤山雷太の後を受けて王子製紙専務に就任しました。その当時王子、気田、中部の3工場を有していましたが工場のトラブル等で3年6ヶ月無配が続いていました。
鈴木は将来を考えて有望な新工場建設が必要ということで各地を探査し、調査団が支笏湖にたどり着きました。日露戦争真っ最中の明治37年のことです。
社史の記述では「湖面から万雷一時にとどろくばかりの音をたてて大瀑布が
溢れ落ちる光景であった。これを見た一行の驚きは如何ばかりか、心中期するところがあったに違いない」、「此処こそ比類のない水力電気開発に天恵の好適地」、「付近にはエゾマツ、トドマツの原生林におおわれてーー」と記されています。
鈴木は「一大決意をもって新工場設置の計画を建て会社の全生命をそれに託そうと決意した。」「三井に賛成を求めた」と記述されています。
三井の益田孝からは「4百万円は三井にとっても非常に大金で承諾できない、思い止まって再び提議しないでほしい」と拒絶されました。紆余曲折を経て明治39年になって時運も好転し、10月に臨時株主総会で4百万円の増資を決議、明治40年5月に工場建設の手始めとして千歳川水路工事の起工に着手。
王子150年の歴史を振り返るときに、鈴木梅四郎の不撓不屈の精神、構想力の大きさが王子製紙の礎を築いたと感銘しました。
秋の行楽シーズンですが、この1ヶ月コロナは微増傾向です。向寒の折り皆さまにはくれぐれもご自愛ください。