ゴールデンウィークの前半に新宿御苑を散策しました。中央の広場に一面に広がる芝生は新芽が伸びて初夏を迎えようとしています。ご健勝にお過ごしのことと思います。
ようやくコロナがトンネルの出口に差し掛かったところに高校の行田支部同窓会の案内がきました。生まれ育った行田はかつて足袋の町として栄えていました。昭和29年に足袋製造業者が304社、料亭があり旦那衆は足袋屋が占めていたとか、ミシン屋、糸屋、箱屋、運送会社、奈良漬屋(得意先への歳暮)等裾野産業もありました。行田足袋商工協同組合の記念誌「行田足袋工業100年の歩み」(昭和46年発行)を初めて目にし、その栄枯盛衰を再認識しました。
行田の足袋生産足数(単位100万足/年)を見ると、昭和13年が過去最高
の84(全国の80%)、戦前戦後の統制を経て戦後ピークは昭和31年51、それが3年後の34年には17と、1/3に激減しその後も減少していきました。
昭和29年にナイロン靴下が売り出され、高度成長に伴ってサラリーマン層の出現、服装の洋風化等が足袋の減少理由に挙げられています。
今日専業の製造会社は1社のみです。足袋製造業者は廃業や、靴下や制服、作業服等の被服製造業等に転業していきました。(成城大学小島孝夫教授の論文2010年「埼玉県行田市における足袋産業の展開とその背景」)
「夕暮れ時にふと目をそらすと、いつの間にか驚くほど空は暗くなっています」とうような書き出しのコラムがありました。
デジタルカメラの出現、スマホの普及で、かつての写真のフィルムは10年もしないうちに姿を消してしまいました。今日のデジタルは、AI(人工知能)とかChat GPT(文章生成モデル)が話題になっています。
製紙連合会の2023年内需見通しは、ピークの2006年に比べて新聞用紙は46%、塗工印刷用紙は41%とあり、渋沢栄一が150年前に「文運の発達には印刷事業を盛んにし、西洋紙の製造をやらなければならない」と言って
はじめた新聞用紙、印刷用紙事業は夕暮れ時になってしまいました。
新芽が伸びて、やがていつか初夏を迎えることを期待したいと思います。6月3日(土)の東京王友会総会でお会いさせていただきたいと思います。
東京王友会会長 加村喜久男