10年に一度の寒波が1月下旬に襲ってきましたが、近所のお寺の境内に梅の花が小さく咲きはじめました。ご健勝にお過ごしのことと思います。
さて本年2月12日に王子HDは創立150年を迎えます。
渋沢栄一は洋行中の見分もあり西洋紙の製造に着目、新政府の御為替方(官金出納の御用達)と称されていた三井組、小野組、島田組に製紙の事業を勧誘し、明治5年11月に大蔵省紙幣寮に抄紙会社(後の王子製紙)創立の願書を提出、翌6年2月12日に会社設立の認可を得ました。
この日から150年の歴史がはじまり、翌7年9月に東京府下王子村で工場建設に着手、翌8年12月に開業式が挙行されました。その後明治22年に天竜川支流に木材パルプ発祥の気田(けた)工場、32年に天竜川沿いに新聞用紙生産を目的にした中部(なかべ)工場、43年に苫小牧工場と順次稼働しました。
だいぶ以前に社史を読んで王子製紙らしいと印象に残った気田山林と北海道御料林を交換することになった出来事を、以下に記したいと思います。
林学士で御料局名古屋支局長の藍沢健が気田川上流の御料林視察の途次に気田工場に立ち寄って、伐採後にスギ、ヒノキを植林した工場所有の山林が御料林より美事なのを見てさすがは王子製紙だと感心したということでした。
大正12年に気田工場閉鎖することになり、担当者が工場責任者の高島菊次郎に山林の処分をどうするかを伺いましたところ、彼は宮内省に献上したらとの指示。
藍沢支局長に伝えましたら、夢かとばかり喜んで早速上京して林野局長官に報告したところ、「宮内省ではそんな莫大な価値のある山林を無償で受ける訳にはいかぬ、王子製紙は北海道にも工場をもっているから、そこでも山林が必要な筈だから北海道の御料林と交換することにしたら」との意見。
北海道支局長が反対でしたが、しばらくして藍沢が北海道支局長に栄転してこの交換が実現しました。その地は北海道上川郡名寄村風連別御料林でした。
昨年王子HDは会社の「存在意義(パーパス)」を策定しました。
「森林を健全に育て、その森林資源を活かした製品を創造し、社会に届けることで、希望あふれる地球の未来に向け、時代を動かしていく」
次の50年に向かって時代を動かしていただきたいと思います。
東京王友会会長 加村喜久男